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 ほんだエッセイ




令和5年10月 折々の言葉
「もし我、誇らんとするなら、その弱き所にて誇らん」
 遠い昔、たぶん中学2年生の頃からだと思う。なんとなく時折口をついて出てきた言葉だった。どこから習い覚えたのか覚えていない。そしてその言葉自体も正確かどうかあやしい。恐らく聖書か何かの言葉で、芥川龍之介か太宰治が小説中に引っ張ってきていた言葉だと思う。ところで、ニーチェはこうした、キリスト者の言いまわしを徹底的に嫌った男である。これは弱者の、いじけた、ルサンチマン(怨み)に満ちた言葉というわけである。たしかにそうかもしれないが、自己嫌悪にまみれ、自分のどこにも良さを感じず、死にたいと思うほどの状態にあるとき、私にとってこれは、ぎりぎり自分を支えてくれた言葉だったように思う。単純に私はこの言葉が、駄目でも良いじゃないか、良いところが全然なくても良いじゃないか、そう言ってくれているような気がしていたように思う。
 
 
令和5年9月 折々の言葉
「山高ければ谷深し、谷深ければ山高し」
 どこからこの言葉が私にやってきたのか、まったく記憶がない。しかし、いつの間にか、この言葉が私の口を突いて出るようになった。しかしそれは、ほとんど双極性感情障害の人々と話している時で、それは単に病気の特徴を説明するためのものだった。だがよく考えてみると、これはそうした病気を理解するためだけの言葉とするのはもったいない気がしてきた。
これは大なり小なり、私たちが経験している日常、ひいては人生においても言い当てている言葉ではないのか、「谷深ければ山高し」、どんなに辛くてもそしてそのつらさが深ければ深いほど、それを乗り越えた喜びは大きいと・・・、この言葉はそう語りかけているように思えた。
 
 
令和5年7月 折々の言葉
「美味いうどんが食べたくて、僕は生きています。」
 ほぼ無名のわき役俳優が、その最晩年、その高齢での舞台活動が注目されて、テレビのインタビューを受けていた。その中で、ちょっと茶目っ気に満ちた笑顔でこう答えていた。そしてまた、僕は心がねじ曲がっているのか、何か立派な生き甲斐とかというのは、なんか気恥ずかしくて、嘘っぽく感じてしまうともつけ加えていた。確かによくよく考えてみると、大きな大義や抽象的な存在価値などという代物は、実はかなり表面的なもの、それを支えているのは、実は日々のささいな出来事で、例えば身近な人と交わす挨拶であったりすると私は思うのですが、皆さんはどうです。
 
 
令和5年6月 折々の言葉
「A Spoonful Sugar helps the Medicine go down.(一さじのお砂糖が、苦い薬も飲みやすくしてくれる)」
 これはジュリー・アンドリュース主演のディズニー映画「メリー・ポピンス」に出てくる歌の題名。若き日、沢田研二なみに彼女に入れあげた私の好きな歌の一つ。この歌詞が、妙に私の心にフィットして強く記憶に残った。その意味を私流に解釈すれば、役立つことならなんでも利用してみよう、ちょっとした知恵と工夫が人生大事、ということになる。根性、努力、忍耐、頑張りなど、日本的精神のそうした湿気に満ちた言葉に少なからぬ違和感を抱いていた当時の私にとって、メリー・ポピンスはちょっと空から降りて来た素敵な家庭教師だった。
 
 
令和5年5月 折々の言葉
「森で道に迷ったら、そこから動くな。」
 確か、デカルトの「方法序説」に、こんな意味の言葉が載っていた。慌てて、不安に任せてむやみに動き回ると、ますます自分がどこにいるのか分からなくなる。落ち着いてあたりを見渡せば、日の光、風の音、水の流れなど、自分がどこにいるのか、どっちに向かえばいいのか、教えてくれる手がかりが見えてくるだろうというものだった。私たちの苦しみは、往々にして、迷っている現実からよりも、迷っていることに慌て、不安を掻き立てていることからやってくることが多いのではないか、そんな風に思える時がある。
 
 
令和5年4月 折々の言葉
「勝てない。だけど負けなければ良いんだ。」
 もうこの言葉の周辺の事、あまり思い出せない。多分これは、むかし見たことのある映画のなかの言葉。ナチスに対する地下抵抗運動に身を投じた青年の、死を覚悟しながら仲間につぶやいた言葉だったように思う。ナチスには勝てない、しかし抵抗を止めるわけにはいかない彼はそう言いたかったように思えた。私たちも勝てないし成功するとか解決するとかとは、これっぽっちも思えない困難な状況と分かっていても、努力や我慢を止めるわけにはいかないことってありますよね。
 この言葉は、そんな時の励ましの言葉のように私には響くのですが・・・。
 
 
令和5年3月 折々の言葉
「心にも筋力があるんですよ。」
 もう大分前のこと。そのころ盛りであった SMAPの中居君が言った言葉。彼がどんな時、どんな文脈で言ったのか今はすでに定かではないが、それは紅白歌合戦の司会を何回か勤めた頃の事。それは何かについて失敗しながらでもなんでも繰り返しているうちに、だんだん出来るようになっていった彼の体験を指してのことだった。まるで心に筋肉があるみたいに少しずつ力がついていって、不思議な感覚を味わったという。なるほど確かにそれは見えないけれど、あるような気がすると、私にも思えた。
 
 
令和5年2月 折々の言葉
「“自分探し”より、“あこがれる人”探し」
 深夜放送を聞いていた。これは、そこで糸井重里が自分の昔について語っての言葉。青春期というのは、体験不足と希望の大きさからくる不釣り合いからか、自分の生きている意味が欲しくてともかく苦しい。それは時に“死”に接してしまう。そんな時、皆さんには、この厭うべき世の中でも、この人がいるから、まだ生きてゆく意味があるかもしれない、そんなことを思った経験はありませんか。多分、糸井氏の発言は、そんな過去のことを言ったのだと思います。
 
 
令和5年1月 折々の言葉
「子どもからは5歳までに、可愛らしさをいっぱいもらったから、もうそれで充分満足です。」
 遠い昔一緒に働いていた女性がふと漏らした言葉。この言葉がどんな時に言われたのか今では思い出せないが、当時の私は、そんな心境からはほど遠いところにいたので、この言葉は少なからず私を驚かせた。そしてその後も思いだす度に私の胸を打ったが、なかなかそんな心境にはなれなかった。後に知ったことだが、その言葉をもらした人は、子どもについて幾多の困難を乗り越えてきた人だった。
 
 
令和4年12月 折々の言葉
「今欲しいのは平和じゃないの、胡椒なのよ。」
 遠くでドーン、ドーンと音が響いている。大きな鍋のような容器まわりを幼い子供たちや頭を布でくるんだ女たちが囲んでいる。そしてその中の一人は何か手にして、皆が見つめるその料理をかきまわしていた。その時その女性が発したのがこの言葉。舞台はイラク戦争。男たちは戦いに駆り出されていない。残った家族をT.Vが取材していた。勿論、彼女は心から平和を願い安全を求めている。そんな時、食べることに心を集中することで、不安と戦おうとするその彼女の言葉は、私に小さからぬ感動を残した。
 
 
令和4年11月 折々の言葉
「お皿も床も、もうピカピカです。」
 遠い昔の遠いところの話。あるお母さんが、なかなか眠れないと来院されました。眠れなくなったのは、幼いお子さんを亡くされてからとのこと。その思いがけない理由に、私が言葉を失っていた時、その方が発したのがこの言葉でした。何かしていないと耐えられないのだとも言われました。本当の悲しみというものを、人はこうやって耐えてゆくものかと、今もこの言葉は私の心に重く残っています。
 
 
令和4年10月 折々の言葉
「求めよ、さらば与えられん」
 確か新約聖書の中の言葉だったと思います。これと同じような趣旨の言いまわしは、所々で耳にしますが、このイエスの言った言葉にはちょっとほかにない迫力を感じます。ところで、私のこの言葉に対するパラフレーズは、「治りたい、変わりたいと思い続ければ、人はきっと変わってゆく。」というものです。皆さんにだったら、この言葉、どのように言い換えて自分のものにしますか。
 
 
令和4年3月 折々の言葉
「人の噂も二、三分」
 「人の噂も七十五日」これが本来の諺。私の理解では、この諺は自分の過失、失敗に対して、何か言われるにしてもほぼ二カ月半もすれば、それは消えるよ、安心しなさいとの教え。しかしつらつら考えてみるのだが、大抵のことにおいて、実際に人の噂がそんなに続くことはまずない。まして語られる時間となると、せいぜい二、三分で話はつき、終わってしまっている。だからその二、三分のために七十五日間も気を病んでいるのすら、ちょっと馬鹿らしいと思えてくるが、如何。
 
 
令和4年2月 折々の言葉
「優しいだけでは生きてゆけない、強いだけでは意味がない。」
 正確な言葉は忘れました。確かこんな意味の言葉が、コマーシャルに使われていた。まだ若かった頃だったけれど、随分感服して、自分の心に刻んだ言葉だった。優しさとは弱さの言い逃れではないのか、あるいは、強さは残酷さと紙一重だとして、強くなろうとすることから自分は逃げているのではないのか、そんな煩悶を抱いて苦しんでいた頃があった。だから、優しさと強さにたいする、ちょっと斜に構えたこのキャッチ・コピー は私の心にしみた。優しさを持った強い人間、私はとうとうそんな人間にはなりそこねてしまったけれど、この言葉が今も心にしみてよみがえるのが不思議です。
 
 
令和4年1月 折々の言葉
「“一人でいられる力”ということ」
 これは昔、勉強していた精神分析系の児童精神科医のキー・ワード。今は人と交われる力礼賛の時代だが、誰かがそばにいないと不安になり、人を支配していないと、落ち込んで自分が保てない、常に人と絡まっては、傷つけ傷つけられる関係をやめられないという、人間の苦しい在り方というものがある。どうしてこんなことになるのか。その答えの一つ答えが、この〝一人でいられる能力′′有無。ではこの力はどこからやってくるのか。それは自分の心の中の、自分を認めてくれる誰かからというのが、一つの仮説。例えばあの歌「いい日旅立ち」の中の、「日本のどこかに、私を待っている人」のような人のことです。あなたお持ちですか。この力、逆境に対して無類の力を発揮することになっています。
 
 
令和3年12月 折々の言葉
「あがらない、緊張しないという力士は強くならないです。」
 いつの頃だったか、大相撲をT.V で見ていた。どんな話の流れだったか、アナウンサーが力士の緊張をさもあってはならないことのように話した時、解説者が言ったのがこの言葉。彼は昔、序二段の若い力士が緊張のあまり、足を踏み外して土俵に上がりそこねたのを見たとことがあったが、そのずっこけて皆の失笑を買った力士が、その後横綱になったというエピソードを紹介した。そして、真剣で一生懸命じゃなけりゃ、人間上りも緊張もしませんよとも付け加えていた。随分私は、自分の〝あがり症′′をこの言葉で慰めきた。
 
 
令和3年11月 折々の言葉
「反省はしていいけれど、後悔と自己非難はしない方がいい。」
 反省、後悔、自己非難、この言葉のニュアンスお分かりですよね。不安と過去の振り返りは、残念ながら私たち人間の性(サガ)、やめることができません。あんなことをしてしまった、あんなことを言ってしまった、大丈夫だろうか、ひどいことになるんではないか、などなど。記憶というのは私た ちが作り上げる「過去」の物語のことです。そして私たちは自分の作ったその物語に落ち込み、堂々巡りの罠にはまります。その状況から抜け出す方法、それが上の示唆です。しかし、そんなこと分かっている。分かっているけどできないから苦労するんだとおっしゃる方、しかしまあ、そんな時この言葉を一瞬でも良いから思い出すだけは思い出してみませんか
 
 
令和3年10月 折々の言葉
「治る方法、それは生きていること」
 私たちの心の問題というのは、手術をしなければ命を落とすとか、何か特効薬がないと死が早まるといったものとは、ちょっとその性格を異にします。苦しみながら私たちの心はその問題を克服して行く力をつけますし、また環境が変わることによって問題そのものが自然と消えて行ってしまったりするようなものです。—生きていれば治る—そんな意味のこの言葉は、あるいはまた、昔から私たちが古来言い慣わしてきた、—時が解決してくれる—という言葉のヴァリエーションかもしれません。
 
 
令和3年9月 折々の言葉
「絶望とは愚か者の結論である。」(ローマ人の言葉)」
 中学生の頃だったか、休日、良くラジオを聞いていた。ラジオ番組の冒頭、その司会者が必ず言った言葉がこれである。それから50年近く、今も耳に残った。当時、随分嫌な言葉だと感じた。悩める者を馬鹿呼ばわりする、これが不遜だと感じていた。しかしこれが滅亡してゆく彼らの、自分への厳しい励まし、あるいは決意であると考えるとさほど悪い言葉でもないかとも思うようになった。
 
 
令和3年7月 折々の言葉
「自己肯定は、自分で自分を苦しめるこを止ることから始まる」
 自己肯定という言葉は、とてもものものしい。そんな立派なことではなくて、些細な実践から、自分が生きている辛さを少しでも軽減できないか、そんな思いから私に浮かんだ言葉。リストカットしている少女が、一回でもその行為を思い留めたら、それはかすかな自己肯定、自分は駄目な奴だと考えることを、止めたいと思ったら、それもかすかな自己肯定、そんな自己肯定があっても良いのじゃないか、この言葉はそんな気持ちの表現です。
 
 
令和3年6月 折々の言葉
「解決できる問題というのはほとんどない、ただ問題は消えてゆくだけだ」
 むかし尊敬した精神科医の言葉。特に人間関係の問題など、本当にそうだと、よくこの言葉を思い出します。解決しようとすればするほど問題はこじれ、一筋縄ではいかなくなる。むしろ解決しようとしないで、その問題を避けるか、別のことに意識を向けるか、あるいはあの人はそういう人と思い決めて、時が解決するのを待つ、こうした戦略の方を、実は人というのはより頻回に使用して、その方が有効性が高いのではないか、そんな風に思うのです。
 
 
令和3年5月 折々の言葉
「男が惚れる男でなけりゃ、粋な女は惚れはせぬ」(江戸都都逸)
 十代の頃から落語が好きでした。その手のテレビの番組は必死に見ていました。そんな番組に、 “みきまつ”という師匠が出てきてこの都都逸を奏でました。ネット上で知り合う異性は、信用するにしても、こうした機微は一切問題外なのではないでしょうか。男性でも女性でもその同性に好かれ る異性の方が、信用しても良い確率は上がる、これが江戸の昔からの私たちの知恵だったようです。
 
 
令和3年4月 折々の言葉
「解決できる問題というのはほとんどない、ただ問題は消えゆくだけだ」
 むかし尊敬した精神科医の言葉。特に人間関係の問題など、本当にそうだと、よくこの言葉を思い出します。解決しようとすればするほど問題はこじれ、一筋縄ではいかなくなる。むしろ解決しようとしないで、その問題を避けるか、別のことに意識を向けるか、あるいはあの人はそういう人と思いを決めて、時が解決するのを待つ、こうした戦略の方を、実は人というのはより頻回に使用して、その方が有効性が高いのではないか、そんな風に思うのです。
 
 
令和3年3月 折々の言葉
「よく踊る兵士がよく戦う」
 太平洋戦争の敗戦が私たちに残した最良の遺産は、とも角戦争だけはしてはいけないという教訓だったというのが私の思いです。兵士とか戦うという言葉に、幾分か抵抗が無いわけではないですが、ベ トナム戦争の時、アメリカ軍の圧倒的な重火器に対してねばりつづけ、最後には勝利した、ベトナム兵たちのこのことわざがいつまでも私の心に残りました。頑張るためには、あるいは働けるためには、まず遊ぶ力、楽しめる力が必要、今の私はそんな意味としてこの言葉をリフレーンしています。
 
 
令和3年2月 折々の言葉
「お部屋の整理は心の整理」
 心を整理するといっても、一朝一夕には上手く行きません。確かに外観より心が大事というのは真実なのですが、時に手の付けられないほどぐちゃぐちゃになった心が、部屋を綺麗にすることで整って行くというのも古今東西、私達に受け継がれてきた経験的事実なのです。
 
 
令和2年4月
 もう本当にひどいことになったものだと思います。しかも世界を見ると、「パンデミック」とか「オバーシュート」とか「医療崩壊」とか、何度も繰り返されるもっとひどい恐ろしい事態があると、言葉が伝えています。今私たちの心は、新型コロナウィルスに怯え、揺れ動いては、疲弊してゆきます。心が疲弊すると、人の理性は影をひそめ、感情がむき出しになり、そして悪しき憶測という魔力が私たちをおおいます。
 今さらここで「三密」とか、「Stay Home」とか、「手洗いの励行」などは語りません。どんな時にも、どんな苦しく大変な時にも、人はその人に見合った、希望や期待の光のもとで耐えて生きてゆきます。気づかなくても、それが必要です。皆さんにとってちょっと奇異な感じを抱かせるかもしれませんが、今の私を支える淡い期待、希望の光の一つは、この世界を揺るがしている困難な事態を乗り越えた時、新しい世界観が誕生してこないだろうかというものです。
 中世のペストが終焉した時、ヨーロッパに神の力を相対化する価値観を持ったルネッサンスという時代が誕生しました。それにならって、このパンデミックが、今のこの新資本主義、グローバリズム、金、競争、効率、利益、一辺倒の世界に、何か新しい価値観が生まれて、もっと生きやすい世界をもたらさないだろうかという期待です。 皆さんはどうですか。何に向かって頑張りますか